北見北斗高校強行遠足でSSH救護活動

北見ブロック SSH活動 ( 報告:鋤澤一将、写真提供:中西 誠)

 平成23年10月2日(日曜日)、北海道北見北斗高等学校の強行遠足で救護ボランティアを行いました。
 北見北斗高校の強行遠足は、昭和7年より行われている伝統行事で、北海道柔道整復師会北見ブロックでは、数年前より救護ボランティアとして強行遠足のお手伝いをしています。

 本年度で79回となる強行遠足は、午前4時に328人の男子(71km)、午前5時に284人の女子(41.2km)、総勢612人のランナーと、それを支える600余名のスタッフが参加して10月2日に行われました。

   【現在のコースと関門待機スタッフ】

          訓子府関門:山田茂樹会員・鋤澤一将会員
          置戸関門: 中西誠会員・柿崎憲一会員
          秋田関門: 尾崎哲之会員・尾崎実会員
          中ノ沢関門:水谷隆人会員・石井正幸会員・照澤真会員・鹿又秀之会員・白井勉会員

 訓子府、置戸、秋田、中ノ沢、それぞれの関門に会員が待機し、救護活動にあたりました。
 

訓子府関門の接待の父兄と鋤澤会員・山田会員

訓子府関門給水所の様子

 スタート地点より約20キロ地点の訓子府関門では、多くの生徒が余裕をもって通過していきますが、完走出来るかどうか心配な生徒も見受けられます。

 続く35キロ地点の置戸関門では、いよいよ気力・体力ともに疲れ始めリタイヤする生徒も出始めました。
置戸関門でストレッチングを施す柿崎会員

秋田関門の尾崎哲之会員

 フルマラソンを超える45キロ地点、秋田関門では、普段から部活で鍛えている生徒でも身体が悲鳴をあげボランティアブースに駆け込んできます。

最終中ノ沢関門で救護活動を行う会員達

 ゴールまで、残すところ12~3キロ地点となる中ノ沢関門では、心身ともに限界を迎えた生徒達のボランティアブースへの出入りもピークを向かえ、各関門の会員も集結しサポートに当たります。
 ここまでくると、気持ちで乗り切るしかないので激励し、奮い立たせるのも重要な処置になります。多くは、下肢部痛、筋痙攣などオーバーユース症状ですが、中には低体温症、脱水症状などの生徒もおり、医師・看護師・救急救命士など他のボランティアスタッフとも連携協力し処置に当たります。 

 

釧路より参加の高谷亨医師を囲んで記念撮影

【強行遠足が始まるまで】

 大正11年4月に野付牛中学校(現 北見北斗高校の前身)は開校しましたが、当時、校舎も無く西小学校に間借り、机も椅子も借り物、体操場、グランドなどの校内外の生活に不自由な思いをしていた生徒に、初代 佐藤猪之助 校長は「不自由を我慢せよ、リンカーンも丸太小屋で育ったんだ」という逸話を紹介し、自ら質素を旨としていたため、質実剛健の気風が自然に培われました。
 その気風を創るのに役立ったのは、山野を跋渉し、歩け歩けの運動(釧路方面への240キロの遠足)でした。
 この運動が、旧制中学生活の5年間で記憶に残るようにという狙いで定着し、後の強行遠足となり、現在に受け継がれています。

第1回強行遠足

 昭和7年11月12日、野付牛駅(現 北見駅)前を出発し、留辺蕊・上生田原(現 生田原)・遠軽を経て湧別までを予定していましたが、天候悪化のため、遠軽までの63.4キロのコースとなり、鉄道沿線を走るので『鉄道沿線強行遠足』と称され、このコースは第11回(昭和17年)まで続きました。

 第12回(昭和18年)は、昭和15年に遠軽中学校(現 遠軽高校)が設立され、遠軽・湧別方面からの入学生が減少し、関門接待の父兄が不足となり、北見・置戸・留辺蕊・北見・美幌、101.7キロの強行遠足史上に残る最長距離となりました。終戦、学校名、男女共学への変更、交通事情など、紆余曲折を経て現在のコースとなっています。