特別会議場 第1部 特別講演

 

 

ご 職 歴
昭和48 北海道大学医学部脳神経外科学教室入局 (都留美津雄教授)
昭和56 秋田脳血管研究所
(伊藤善太郎先生)
昭和60 北海道大学医学部助手
昭和61年 北海道大学医学部講師
平成4年 旭川赤十字病院脳神経外科部長赴任
平成10年
  ~現在
急性期脳卒中センター長兼任
ご 趣 味
フライフィッシング、ラジコン飛行機、パソコン

 

旭川赤十字病院
脳神経外科部長
上 山 博 康 先生

 

  <<プロローグ:脳外科医界を取り巻く危機>>

 私の人生が変わったのはNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演してからで、その後、全国から患者がどんどん来院するようになり、ずいぶん私自身の周りの状況も変わりました。また、TV東京にもレギュラーで出演しました。

 日本の今の脳外科の現状を話しますと、脳外科医は本当にがんばっています。どこの病院に行っても夜中まで働いているのは脳外科医ばかりです。旭川赤十字病院は160人の医者がいますが夜10時を過ぎると、その総合医局が脳外科の専属医局のように脳外科の医者しか残っていません。診療科としては大きい科には扱われません。

 扱っている疾患は、死因の第一位は癌です。二位が心臓病、三位が脳卒中となっていますが、脳卒中は今死亡しないため、有病率で患者の数は一番多いのです。その一番多い脳卒中を主に診ているのは、脳外科医です。少人数で一番多い患者を扱わなければいけない。それでもみんな頑張ってきたのですが、近年非常にまずい状況になってきています。

 今、若い人たちに3Kは忌み嫌われます。汚い、きついとか「援軍の来ない幌馬車隊」は、今、若い人には通じないんです。昔、幌馬車隊がアパッチに襲われて円陣を組んで守っているのですが、いよいよ玉が尽きてやられそうな時に必ず騎兵隊がラッパ吹いて助けに来るというのが定番のストーリーですが、私たちには騎兵隊が来ないのです。私たちは玉を打ち尽くした段階で終わるしかないのですが、それでも打ち続けなければいけないのです。


 私は医者になってから30数年になりますが、今脳卒中外科学会等で、脳外科医がなぜか内科医におもねるというか、遠慮するというところがあります。北海道は特に卒中内科医が育っていません。私たちがMRIとか、CTを全部独占的に使ってきたこともあって、脳卒中の診療の実力には桁違いの差があります。それではだめで、もっとすそ野を広げなければいけないというのが、脳卒中外科学会の意見です。

 ところがここにきて学会等がガイドライン、エビデンス、ベースド・メディスン等でがんじがらめです。


 訴訟を恐れ、医局を恐れ、孤独を恐れ、孤独を恐れるあまりに後輩たちにおもねたり、過剰な配慮をしたりして中間管理職が潰れていくパターンが良くあります。院内でも委員会を作って人を締め付ける。委員会を作った人達は、一行たりとも法律を変えようとしない。しかし、実は法律はいい加減にできている事が多いのです。

 文字になったものに対して世の中は弱い。文字になったものは正しいと見られがち。現実に今、若い先生たちは画像は見ますが患者は診ないのです。柔道整復師のみなさんは、むしろ医者たちの欠点を補う事で信用されていると思います。

 医師法というのは明治四十何年かに作られた時の骨子が今も変わってないのです。何でも医者が万能、こんなカビの生えたというか、この医師法を基に、これを改定しないのはとんでもない話しなんです。

<<新臨床研修医制度が日本の医療にもたらしたもの>>

 しかし、今ここにきて世の中が確実に変わってきてるのは、厚生省が2002年にパンドラの箱を開けてしまったのに事を発します。それが新臨床研修医制度です。厚生省の認知として医者は足りている、不足していないという前提で考えていたようですが、とてつもなく不足していたのです。医師たちが一生懸命努力して頑張っていたにもかかわらず、この箱を開けてしまったため、とんでもないことが起こってしまった。

 先ほど3Kの話をしましたが、医師の世界でも比較的楽な科があります。楽といっても、救急性の少ないという意味ですが、若い先生たちに今人気があるのは眼科とか皮膚科で、急患の多くない科です。それと同時に、たとえば、八丈島の診療所は眼科の先生が来るよりも、やはり何でも診てくれるDr.コトーが欲しいのです。外科系は引く手あまたですが、地方には勤務したくないため、外科は希望者が少ないのです。

 その一番の裏側にあるのは訴訟です。モンスター・ペアレントは学校では有名ですね。モンスター・ペイシェントという患者もおり、苦労させられます。2003年に厚生省が病院に指導方針を出しました。皆さんも病院に行って「外来にお越しのなんとか様」と呼ばれ違和感を覚えた事はありませんか? 僕たち医者は生身の人間と肌を触れ合って本当の人間性の勝負をかけなきゃいけないのです。そのような中で「様」はいかがなものかと感じます。

<<国が犯した医療政策の間違い>>

 「神の見えざる手」これはアダム・スミスが言い出した言葉です。「神の手・神の手」とよくTV局で医者のことをいうことがありますが、神様が手を貸してくれるはずはありません。「神の手」というのは自由主義経済の中では、需要と供給の関係から必要な所が残って、必要のないところは淘汰されるという事を経済学でアダム・スミスが唱えたのです。

 これは自由主義経済下では正しいのですが、原始共産主義と同じ医療保険制度の下の日本の医療の中ではまったく通用しません。共産主義下ではこの神の見えざる手は働かないのです。


 数年前、借金大国を救済しようとした政策の中に、ひとつだけ間違いがありました。聖域なき構造改革で聖域を侵した事です。侵してはいけない聖域、社会医療保障制度の中の特に医療から2200億円ずつ削ってしまいました。今、パンドラの箱が開き、医師の不足により救急医療が破綻している中から更に削減したのです。何が起きるか、それは医療崩壊です。

 しかも国民性が低下していて、すぐ訴訟です。急場しのぎの対策として、アダム・スミスの論理から言えば足りない所の医師の給料を上げればいいんです。ところが国家公務員法等で、医師はどんなに忙しい科でも賃金は一律です。ですから忙しいところへ来たら割に合わないことになります。ですから、ここを直さない限り解決しません。


 医療崩壊の原因はいろいろなことが言えますが、医師が楽な所だけ行くというのは、これはわがままの思い上がりで、偏差値教育の弊害です。僕たちはよく、親は子供を生んだから親になるのでなく、子供を育てているうちに子供から教えられて親になるということです。

 私たち医者も然り。鼻持ちならない思い上がりの小僧が、「先生・先生」と敬語を使われて思い上がらない訳がない。そうやって思い上がって上から目線の医療をやっていました。

 ところが、そんな馬鹿な私だって本当に今考えても申し訳なく、涙が出るような失敗をして人の人生を壊してしまったことがあります。その後、自分が思い上がっていた事を思い知った後でやっと医者が、医療がなんだか分かってきました。私は、医師の免許証はこの後に与えた方がいいのでないかと思います。

 成績だけで物事を全て判断するのは今の世の中では弊害があります。たとえば高野連がありますが、ひところ奨学金の事が問題になりました。しかし、あの時はTVに出るような高名な批評家たちが何も言えないというのは、これはおかしいと思いました。育英会の特別奨学金がありますが、成績のいい子は黙って受けられます。野球のうまい子はなぜ受けてはいけないのでしょうか?絵のうまい子はなぜ受けてはいけないのでしょうか?歌のうまい子もだめでしょうか?成績が良いというのは優位性ではないです。成績が良いのも特技です。

 かけっこが早い、歌がうまいのと一緒です。テストが上手、だから僕、文部省が絶対にやっていただきたいのは、勉強が出来る、出来ないって言いますが、この言い方を禁止し、算数が上手、国語が下手って言い方にしましょう。なぜなら野球が、上手とかピアノが、上手っていいますね。

 出来る、出来ないと言いますか?言わないですね。泳げる、泳げないとは言いますが。成績だけが万能で、人の評価につながる。しかも受験科目は決まった科目です。

 しかし、皆さんも社会に出て思いませんか?読み書き算数と言いますが、微分方程式や三角関数はなんの役に立ちますか?役に立つのは読み書き算数だけです。むしろ、職業に就いたとき大事なのは受験科目に入っていない保健体育だったり、音楽、美術だったり、そのセンスだったりとか、実社会では受験科目からはずされたものばかりしか役に立たないのです。ですから受験なんていうのは人の上下関係の識別をつけるための単なる手段です。それが万能で人の上下を決めるなんてナンセンスだと思います。しかし、人を一般的に評価することはなかなか難しい事です。ですから学歴編重と言いながらも、学歴はひとつの目安になるのは確かです。

<< 医療訴訟と萎縮する医療現場 >>

 医療訴訟の増加も非常に悪い状況になっています。日本の脳外科医は頑張っていますがその中で何が起きているかと言うと、萎縮医療です。助けられる患者や、リスクある患者を治療せず見殺しにしていたんです。萎縮医療と言うことで日本の医療の本質を捻じ曲げています。たとえば患者拒否や、たらい回しも全部そうです。リスクのある患者さんが来た時に診るから訴えられるが、診なきゃ訴えられないです。

 最初にたらい回しで有名になったのは、奈良の妊婦さんです、あの方は妊娠7カ月までどこにも受診していないのです。そのような場合、私たち救急担当の医師は、外国の不法滞在者等かと考えてしまいます。そんなケースも私の病院でも時々ありますが、お産して赤ちゃんを置いて帰ってしまいます。私の病院は第三次救急をやっていますので、全国でも医療費を踏み倒される率がかなり高いのです。行き倒れの人が入ってきますが医療費の請求先が無い人も結構来ます。ヘリコプター移送等もやっているため赤字も多くなります。萎縮医療となっているのは事実なんです。

しかし、私は本当の原因は医者も含めてモラルの低下、人間力の低下、医師力の低下、患者力の低下だと思います。全体の心のエネルギーを今日本人は何処かに置き忘れて来たのではないでしょうか?本当に大事な物を失ってきているのではないかと思うのです。


NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」から
<<伊藤善太郎先生の教え>>


 僕自身に医者の生き方を知らしめてくれたのは、秋田の脳神経外科医「伊藤善太郎」先生です。この先生は44歳で亡くなりましたが、北大にいてエリートコースの上で思い上がっていた私にとっては衝激的出会いでした。私が30歳の時です。

 僕はどう考えてもあの当時、この先生の言動で不可解で理解出来なかった事があります。私が大学病院に居る時に、患者さんが亡くなった時には、教授や助教授が患者さんが亡くなった所に来ることは絶対に無かったのです。医局医が夜中に報告しようものなら逆に怒られてしまう時代でした。

 しかし、この先生は呼ばなかったらむしろ怒るんです。自ら駆けつけてきて患者さんが亡くなった時、深々と頭を下げて謝るのです。「力及ばず申し訳ございませんでした」と。私は、大学に居て違和感を覚えました。「何の間違えもなく、医療ミスもしていません。そんなふうに謝ったら、こちらが医療ミスをした様に思われませんか」と言った事があります。その時、フッと厳しい顔になって、「それは医者の理論だろ。この患者が助からない事は俺たちは医者だから解る。でも患者は助けて欲しいから連れてきている。助けられないのは俺たちの力が無いからだ」と、ある時、寂しそうな顔でつぶやいた事を覚えています。「医者は、時には神を演じなきゃ駄目なんだよ」と、それが全てです。医者が何を求められているのかと言うこと、究極、それを身につけ演じきろうとしたのだと思います。

 私は当時理解できませんでした。この人の考えはおかしいと思いました。この人はキリストになろうとしているんじゃないかと、俺たち一介の人間が出来る訳ないじゃないかと思っていました。

 しかし、私もだんだん年をとり師匠の年を遥かに超えて、伊藤先生は何を目指していたのかが少し解る様になりました。キリストに成ろうとか、思い上がっているとかでは全然無かったのです。同じ人間として、同格の人生を背負っている人間を治す立場として自分たちは何が出来るのかと言う事を一生懸命考えていたんだと思います。私は伊藤先生よりある言葉を伝えられました。「患者は命を賭けて医者を信じる、だから医者にも覚悟がいる」今でも迷った時は伊藤先生ならどうしたかなって、天を見上げて考えます。

<<脳の病い>>


 脳につきましてその働きは情報を集約し、その中には行動や意志さらには生命維持などの活動を行う、私たちの体の中で最も重要な器官でありその特徴は重量約1300gから1500gで、60kgの人でしたら重量的に40分の1しかありません。

 ところが血液の6分の1、酸素消費量にいたっては5分の1をこの40分の1の容積の重さの物が使っています。非常に大飯喰らい、血液喰らいだと、いう事です。しかも、非常に血管が多い組織です。そのため首から上はよく血が出るんです。皆さんも顔なんか切った時は激しく血が出ませんか? 流血の惨事って、おでこが多いのですが、もしあれが腹から出ると入院になります。おでこを切るとやたら出る、それだけ頭皮だけでも血流が多く、脳に至っては何倍も多いのです。

 ですからOPの時ちょっと触ったりすると脳は大出血を起こします。私たちの手術はいかに出血をコントロールするかという事が全てです。


 脳卒中の死亡者数は年間実に13万人。およそ4分に一人が命を落としているのですが、脳卒中は大体この3つに分かれます。多い順に脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血。しかし、みなさんが怖がるのは逆で、少ない方のクモ膜下出血を怖がります。

       

       
 みなさん記憶に新しいと思いますが、木村拓也コーチが無くなった時、全国の脳外科の外来は健診者で溢れかえりました。クモ膜下出血は最も死亡率が高く、特に冬を迎える時期に急激に増加すると言われます。クモ膜とは脳を覆っている膜でその下の血管に出来た動脈瘤がこぶ状になり破裂して出血し溢れだした血液が脳を圧迫し深刻なダメージを与えます。今まで経験した事の無い様な激しい頭痛。おう吐、意識障害などから即死することが多く、たとえば、一命を取りとめたとしても言語障害や麻痺といった重い障害を背負う事も少なくありません。完治するのは、3人に1人とも言われています。

 しかし、現実的にクモ膜下出血は治る病気なのです。クモ膜下出血に対する最大の予防はやはり何と言っても脳ドックです。

 もし、あなたの脳に動脈瘤が見つかったら、選択できる治療法は主に2つです。まず、1つ目は外科的手術クリッピング術。


 クリッピング術とは、その名の通り動脈瘤を医療用のクリップで直接はさみ血液を流れこまないようにする手術。まずは、小さな穴をあけ動脈瘤のある血管を直接手術します。

 そしてもう一つの治療法は、内科的手術コイル塞栓術。コイル塞栓術ではカテーテルと呼ばれる細長いストロー状の管が使われます。この管は、足から血管に差し込み動脈瘤を内側から治療します。脳の動脈瘤までカテーテルが届いた所で、管の中からコイルと呼ばれる柔らかい針金を出し、動脈瘤の中に針を詰めていきます。これで、血液は流れ込まなくなります。これらの手術の選択のポイントは、クリッピング術とコイル塞栓術にはそれぞれ動脈瘤の形によって向き、不向きがあります。

 最もオーソドックスな形のAタイプの動脈瘤であれば、クリッピングでもコイル塞栓術でも、どちらでも有効に治療できます。

 しかし、山なり型のBタイプの場合は、コイルを使って手術すると瘤の入り口が広いため上手く収まらず血管を詰まらせてしまう危険性があるのです。このタイプの場合は、クリッピングが有効です。

 問題は、重層度の高い風船型のCタイプ。 この場合は、クリッピングでもコイルでも対処出来ません。

 では、どうするかというと、新たな血液の通り道をつくるバイパス手術が行われています。


 伊藤善太郎先生は日本のバイパス手術の生みの親です。世界で初めて手の血管を使うバイパスとか前大脳動脈の再建等を今から30年近く前に行った先生です。ですから、本当の意味で伊藤善太郎先生は日本の誇る大天才の脳外科医だったのです。その先生が44歳で亡くなるような事になり、不詳、弟子の私が頑張るしかなかったのです。

<<人命を隔てる0.1mmの挾間>>

 未破裂動脈瘤の例として、5年前から動脈瘤があるのが分かっていた60過ぎのおばあちゃんがある時僕の外来に来て、ぜひやってくれとおっしゃる。5年持っているのだからやらなくていいのではと言ったら、どうしてもというのでOPを行いました。

 開頭すると大きさは3.5mm位です。厚生省、日本脳外科学会や脳卒中外科学会さらに脳卒中学会が推奨している治療対象は5mmから7mm以上となっています。とてもこれは治療対象では無いと言う事になります。

 しかし、動脈瘤は大体、壁の薄い所で破裂します。見ると2カ所ほど物凄く薄くて中の血液が透けて見える所があります。オブラートみたいな一枚でとまっている様なもので、血圧が上がったら直ぐはじけ飛ぶところでした。

 この方はクリッッピングを行いました。私の手術機械の中にイリゲーション・サクション(Irrigation Suction)と言う、僕が作った生理食塩水の出る吸引管があるのですが、この生理食塩水の中にウロキナーゼ<Urokinase>と言う血栓融解剤を6万単位入れています。これが高価で保険診療外になりますので使うほどさらに赤字病院になります。しかし、この方式は血液をどんどん除去出来るのです。真っ黒な出血の中から綺麗な脳を出さない限り患者さんは元気になれないのです。ですから僕は、何10万(円※)かかろうと、この薬の使用を止める気は無いのです。


 2003年に厚生省からガイドラインが出ました。僕はこの会議に出ていましたが、議論が尽くされていない感がありました。全国で、特に北海道は脳ドックを始めるのが早かったため、2002年まではクモ膜下出血の罹患率が激烈に減りました。しかし、ガイドラインが出てから再び増加してきている。なぜかと言うと、5mm以下が対象外となったためです。若い先生たちは、4.9mmは適応外で、5.1mmは手術適応ですと言う。数字に弱いですね。ガイドラインは対象を70歳以下と決めましが、この年齢制限はいかがなものでしょう?

 後期高齢者医療制度にも意見を述べたら、高齢者も10年から15年以上生きる事が予想されると。さらに、適用範囲も5mmから7mm以上に変更になりました。本当に必要だと思うOPを行ったら医療費が凄い、高騰してしまうからでしょうか?訴訟の問題もあります。

 動脈瘤の発生が5mmの血管から5mmの動脈瘤が出来たのと、1mmの血管から5mmの動脈瘤が出来たのでは意味が違います。母動脈の大きさに対して2倍以上になると危険性が増します。1番破裂が多いのは前交通動脈ですが、これは1mmか2mmしかなく、1番発生が多いところで、動脈瘤が5mmになってから切ろうとしたらその前に破裂し助けられない事になってしまう。ですから、5mmになってから切ろうというガイドラインはアバウトだと思いませんか?

 6ヶ月ごとに定期点検というのも、根拠が薄い。薬の8時間投与と言っても、1日3回本当に8時間投与で飲んでいますか? 病院の食事も、1日の三分の一の時間に3回食事を出して、三分の二は1回も出していないんです。ちょっとおかしい。五択試験に慣れた若者達は数字になると弱いですね。文字になると正しいと思い込む。ですから、4.9mmは手術適応ではないが、5.1mmは手術適応ですねという。これは怖いです。


 カテーテルでコイルを入れる手術をやる先生は開頭しないでできるからいいと言いますが、弊害としてコイルがコンパクション(compaction※)と言って、動脈瘤の中に入れたコイルが動脈瘤の外に出てしまうことがあります。動脈瘤の血管の壁も生きている組織ですから、コイルを入れる事によって血が通わなくなり、組織がなくなるとマクロファージ(macrophage)に飽食されてしまい、屋根が抜けてしまう。そこに入っていたコイルに血圧がかかって外に出てしまうんです。ですから、間違いなくこれから10年後には、コイルを入れる人はいなくなります。コイル療法での治癒率は、6~7割しかありません。3~4割は再発します。ですが、開頭しなくていいというのはすごい魅力ですね。


 開頭は、患者にとってたいへんな恐怖です。しかも、手術の熟練度にも差があり、誰がやるかが大きい問題になってしまいます。日本人は権威に弱いところがあり、海外の権威のある、これはISAT(注)という論文で、にクリップよりもコイルの方が寝たきりになる率が少なかったという記事が掲載されると、コイルの方がいいという論理が横行します。しかし、コイルによる弊害も発生していますから、おそらく10年後にコイルはなくなると思います。ただ、今年の4月から頭蓋内ステント(stent※)という方法が出てきました。私は、そちらの方に期待しています。ところがステントで今年認可されはじめ、限られた施設でエンタンプライズというステントが認可されました。しかし、フローダイバーズステント(Flow-Diver’s-Stent)というフランスで開発されたものは認可されていません。この後者の方に私は期待しています。ところがこのステントが一本300万から500万円します。厚労省は、医療費が高騰することから絶対に認可しないと思います。おそらく認可するとしたら混合診療の下になるでしょう。

(注) ISAT とは、破裂脳動脈瘤治療における血管内治療(コイル塞栓術)と開頭手術(クリッピング術)の安全性と有効性を比較した唯一の多施設共同の治療時無作為ふりわけ臨床試験。

<<混合診療の盲点>>

 厚労省は、混合診療を医療費削減のために確実に実行しようとしています。歯科でも保険外の前歯を入れたら何百万かかるでしょう?でも、もし、アメリカなど経済至上主義の国が絶対これでなければ治らないという抗がん剤を作り、1億で売り出したらどうしますか? 保険適用だったら何割か助けてもらい頑張ってなんとか助かるかもしれない。しかし、全部混合診療だったら全部自費払いで何人の人が1億の抗がん剤を使えますか?

 健康保険にみなさんも関係していますけれど、保険の概念を一度考えてください。車の対人、対物保険に入加入していると思います。対人には何億も入っていると思いますが、みなさん人をひき殺すつもりで入っておられますか?電柱をなぎ倒して走る予定で対物に入っておられますか?健康保険はいざという時に助けて欲しいからみんな入るのだと思います。それなのに本当に有効な治療法が出て、医療費がかさむからこれを保険外診療にするという混合診療というのはとんでもないものです。

 もっと言うと、医薬品の開発に関してはFAA<米連邦仲裁法※>等の決まりがあり、日本では開発できないくらいアメリカの特許に縛られています。何十億、何百億も開発費がかるようなシステムになっています。開発するにもアメリカの顔色をみながらでなければ出来ない。日本はすごい技術力があるので、アメリカからの制約を受けているのだと思います。これは、スーパー301条<Special 301 Provision:米包括通商法※>など通産省とアメリカとの取り交わしなのです。アメリカでは1本2万円のものが、輸入している日本では11万円になります。そのうち何割かが患者さんの負担ですから大変な負担増になっています。ここは国民を守るため通産省に断固戦ってほしいところです。

<<支持し続けたバイパス手術>>

 次に、アメリカとカナダが1985年に出したスタディで頭蓋内外のバイパスは脳梗塞の予防にならないというのが出て、アメリカやヨーロッパではバイパス手術が完全に崩壊してすたれました。保険が利かないため行えないのです。しかし、日本だけが一生懸命続けたんです。日本の厚生省もアメリカやヨーロッパに続くという方向性が出たのですが、2003年にジェットスタディ(ジャパンECICバイパストライアル)を開始しました。そのスタディを始めるとき、菊地晴彦先生はまっ先に私のところに連絡をくれて、多くの犠牲を払う事になるかもしれないが、世界からバイパスの手術がなくなり、それで助かるはずの人が何万人も犠牲になる。このスタディにより、バイパスの世界で20何年振りに間違いを改めました。科学の世界では、間違った論文が権威ある雑誌に記事が一度掲載されてしまうと、簡単には間違いを認めない傾向にあります。

 長島監督、小渕首相等、すべて心原性の脳塞栓症です。頭に何にも病気ないのに心臓で出来た血栓が飛んできて塞栓を起こします。重症になりやすい事と、突然発症するのが怖いんです。

 脳の血管の中に血栓が詰まった場合、末梢にとんでしまっては終わりなので一本ずつ末梢からとっていきます。脳外科の手術は時間がかかると言う人もいますが、動脈瘤などは2~3時間で終了するものや、バイパス手術も開始からバイパスを通して終了し、血液が通るまで40分位、最速は33分というのもあります。開頭自体は10分もあれば可能です。確かに時間のかかるものもあり、脳幹などに食い込み物凄い大変な動脈瘤とか腫瘍などの場合は、あえて短時間で戻さないという方法もあります。しかし、クリップをかけたり、バイパスを通すのは一刻も早くやった方がいいのです。

<<武士道と協力体制>>

 私が見て欲しかったのは、実は私の一言で動いた看護スタッフとか、麻酔科の先生達の動きなんです。私は、うちの病院では頭が変だと思われてるらしくて、僕に逆らう人はだれもいなくて、みんな言うこと聞いてくれます。非常に有難いことだと思ってます。F1グランプリのように一人のドライバーに対して多数のスタッフがメカニックとして付き、しかも、レース直前まで徹夜で作業しているんです。しかし、表彰台に上るのはドライバーのみです。しかも、誰かが一人しくっただけでも勝てない世界なのです。


 私がテレビなどに出演したりすると、神の手を持つ脳外科医などと言われますが、神の手だなんてとんでもありません、自分では巧の手だと言っております。このように仕事が出来る裏側には、うちのスタッフをはじめ、ものすごい数の人達が私を助けてくれているんです。私はいかに恵まれた状況でやっているか、私の「OPできるの?」と一言いっただけで大急ぎで動いてくれます。そういうスタッフなしで、私になにができるでしょうか?「籠に乗る人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人」昔のことわざですが、大好きな言葉です。これが武士道の根源をなしていると思います。武士道というのは何も籠に乗る人の話ではなく、ワラジを作る人にも武士道があるという話です。自分の分をわきまえてその仕事に全力を尽くして頑張ること、これが武士道だと思っています。

<<正義を貫く上山プロジェクト>>

 昭和43年東大の安田講堂事件が起きました。若い人達には分らないでしょうが、僕はその時代の学生です。反帝学評だとか連合赤軍のこの世代に私はどっぷり浸かっていました。

 僕の学生時代、東映の3本立ての映画が100円で見ることが出来ました。オールナイトで学生運動していた連中は、高倉健さんの映画を見て機動隊に突入していきました。殴り込みといっしょですね。私はノンポリでしたから、彼らの運動には一切参加しなかった。

 しかし、学生達の言っていることで、今もって正しいことがあります。診療謝礼金を返済することや博士号制度の矛盾点など、医学部闘争7項目要求って言うのがありました。診療謝礼金とは、教授に特診してもらうための礼金。公立病院なのに差額ベット代が有るなど、それは私立であればかまわないが、公立がパブリックじゃないのはおかしいなど、今もって言っていることは正しかった。

 でも、正しいこと言っても見てる間に機動隊に駆逐されていきました。僕はその闘争を通して明確に分ったことがあります。それは「力のない正義は正義たり得ない」。無力なんです。学生がいくら正しいことを言っても、力がないからダメです。

 私がこの時に感じたのは、私は所詮医者にしかなれません。ならば医者という立場の中で自分の中の正義を貫く。それは、さっき言った保険外診療であっても、自分が正しいと思う医療を絶対に貫くのです。

 僕のやり方に、「先生、赤字になります」と「うるさい赤字・十字(あかじ・じゅうじ)病院だ」って言ってね(笑)。僕はマスコミとかいろんなもので力をつけた段階で、テレビ番組の中で色々な提言を行いました。私はこれを上山プロジェクトと言いますが、テレビ東京で最初は臨時で呼ばれました。

 番組の中で僕のコメントが明快だったのかプロデューサーが来て、是非出来る限り番組に出て下さいということになり、ある時から僕は主治医のレギュラーに入りました。

 始めは一番末席に座っていましたが、その後一番先頭に座り、発言力を持った段階で政治家に来ていただき、その中で色々な苦言・提言を述べ、討論出来るようになりました。これが、上山プロジェクトです。

<<医療費のムダと医療保険の再編成>>

 日本のGNPの伸びに対して医療費の伸びは逆相関で、下降線を辿り続けているのが現状です。国民健康保険の比率が高いのです。所得の低い高齢者が負担率の大きい保険料を支払う事が出来ない。

もうひとつの問題は、高齢者が医療機関にサロンのような利用の仕方をしており、医療費の中で本質的に抑制できる部分があるのも事実です。また、外国より輸入している医療機器が高価である。それを患者負担にしたら外国のために患者がお金を払っているようなものです。ですから、内部で削らなければならない部分とシステムの中でも無駄な投薬をしないとか、医療側で自粛しなければならない事も必要になります。

 しかし、金銭的弱者が憲法25条の基本的生存権すら保障されない、お金の無い人を救えないような医療であれば、やっている意味がないと思います。本当に困っている人を見捨てる事はやめてもらいたい。基本的生存権である25条だけは、変えないでほしいと思います。

 また、医療の根幹に係わる事として、舛添<要一※>さんが大臣の時に後期高齢者医療制度と障害者自立支援法の廃止をしてもらう計画が有りましたが、リーマンショックのため番組が終了してしまい、政権交代後に民主党の議員が厚労省大臣になられた際の公約に同じ事を挙げられておりましたが、未だに実現していません。これは自立を妨げる法で、早々に廃止されるべきです。

<<武士道と一流の考え方>>

 今の若い人たちは時流に乗りたがりますが、時流と一流は違う。時流に乗っても一流でないものはすぐにだめになります。一流を目指す事をやってもいいと思いますが、時流に乗りたがる傾向があります。トウカイテイオー<平成5年有馬記念優勝場※>と、大場政夫<第25代WBA世界フライ級王者※>も大好きです。どちらも、転んでも、転んでも立ち上がるというスピリッツを持っているところが好きなんです。

土屋<健郎※>先生という精神科の医師が書いた‘甘えの構造’が1980年代にベストセラーになりましたが、日本には甘えという根幹をなす言葉、構造が有り、これはアバウト、ルーズという意味も含まれていると思いますが、それを崩さずにいられたのは『武士道』という骨格をなす考えがあったからだと思います。

<<エピローグ:健康の大切さ>>

 今日の結論として、人生全てウンコである!何を食べようと最後は同じ。大切なのは美味しかったという思い出だけであります。額に汗して働き美味しいビールが飲めることがいかに幸せな事であるか、その根底に有るのが健康です。健康である事が、幸せであるために必要な事なのです。

 時間を旅する事が人生です、いずれその旅が終わる時に旅立ちの鞄には地位も名誉もお金も入りません。入るのは思い出だけです。ですから、いい思い出をどれだけ作った生き方を出来るかが人生の成功を左右する事に繋がると思います。個々人に残る思い出はそれぞれですから大切です。20年間変わらぬモットーとして真剣に一つしかない命を預けてくれる事に対し、自分の命を燃やし尽して答えるべき、それが人としての礼儀であると思うのです。

 

<<見出し>>と<※>は編集者追補