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ただ今ご紹介いただきました信原でございます。第35回の北整学会おめでとうございます。最初に座長のご紹介で石川先生から多大なお褒めのお言葉をいただきありがとうございます。ここにお招きいただいた萩原会長、そして沢田先生にも厚く御礼を申し上げます。
私の目の前に松野(誠夫:北海道大学
名誉教授・医療法人北海道整形外科記念病院
理事長)先生が見えていらっしゃいます。松野先生は私の先生であり、私の肩の指導者でございます。ここへ来るのに先生にお出でらっしゃって、ここまで来て聞いていただくと言う事は感激の極みです。それだけじゃなしに松野先生が北海道の柔整会の顧問として面倒を見られている事に本当に感銘を受けました。
実を申しますと、日本中が整形外科も医師も、柔道整復師の数がちょっと増えてきた頃からギクシャクしています。なぜギクシャクしているかとい理由は、経済的な事です。同じパイを食い合う抗争をしている訳ですけど、そこにはいわゆる人間同士の縁が全くない、非常に悲しい事だと思います。
私は日本中の整形外科の先生に「一緒に何でやれないの」という事を言っていますけれども、北海道ではそれが何の問題もなく実現しているという事に本当に深い感銘を受けます。松野先生どうもありがとうございます。
柔道整復師 -その歴史と展望-
今日の私の話は二段に分けます。最初はパワーポイントを使っての柔道整復学というものが一体どういうものかという事を、聴衆の皆さんにお聞きいただきたいと思います。
<柔道整復学>
■医療の起源
医学という物は皆さんどう思っておられるか知りませんけれども、原始医学というのは宗教と魔術、医術が一体の時代だった。コンゴのバルンガーナにある、このお面をかぶって祈祷して病気を治します。それからこれは小さな子どもをたくさん連れています。この人形を持ってお祈りする訳です。
日本も実はこのようなのがたくさんあります。家の前にお札を飾ったり、それからイワシの頭を飾ったり。だから、医学に対する人間の思いがこもっているという事。その中心的人物が、このシャーマンです。日本の天照大神といって、日本の国を作った人が実はシャーマンです。病気というのは神、精霊、魔法によって起きます。
診断は何かというと、犯した罪です。精霊を明らかにすること。それから病気になるやつは、心の悪いやつだと。どうやって精霊を明らかにして病気を治そうかというのが、医術の始まりでした。
これはサハラ砂漠にある壁画ですが、武道です。武術で人を倒します。倒したら土地の酋長がそれを活かします。これは殺法であり、柔道でいう活法なのです。皆さんもそうだし私達も活法の世界で生きている人間だと思います。
実に驚く事に、この絵は紀元前3000年です。まだ日本の国もなかった時代にウーパイという所に石碑がありますが、こういう絵が描かれています。これは肩関節脱臼の整復です。だから昔の医術というのはこういう絵画とか石碑によって伝承されて来たという事です。
これは骨折に使われた物です。固定のために使っていた。今は高い器具で立派な装飾のあるすごい材料でもって高い物ばっかり使おうとしていますけど、骨折が起きた時にこういう物を昔は使っていた。中段におそらく学生と思われる若い方々がいらっしゃるのですけど、骨折(患者)が来たらどうします。
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僕なら、まず最初に枕を持って来ます。ピロー、特に柔らかいのがいいです。家にある枕を持ってきてそれを骨折部に添えてぐるぐる巻きにきつく包帯で巻くと、そしたら救急処置としては一番いい訳です。ところが、案外そんな事ご存知ない、(そうしたものを)使わない。原始時代はこういうものを使って医療をやっていました。
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これは壺の後ろ(面)に描かれていた創傷、傷を治すのです。こういうものも伝承されてきました。
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これは、肩関節脱臼の図です。なにかアラビア語が書いてあります。こちらは逆さにぶら下げて背骨の脱臼を治しているのでしょう。これ見たらすごい事やっていると思われますけど、実は、55年位前に私がアメリカに留学した時にやっていました。自然整復の1つなのですが。こういうものは絵画で伝承されてきた医術です。まあ、現在にも生きているという事です。
これも整復の図です。こういう所に医療の原点があります。インドネシアにソラカルタという所がありますが、 リハビリテーションが世界で最初に始まった所なのですが、そこでも石装具で松葉杖を作っている連中がいて、何を作っているのかなと覗いて見ると、散髪屋さんのために石装具で型を取っていて、体が不自由であるにも係わらず、尚社 会に貢献しようとする、その為に医者や皆さんが、そのお手伝いをする職業であり、決して金儲けの為にやる職種ではない訳です。
メソポタミアの時代からギリシア、ローマという時代まで暗黒時代が続きました。とにかく、病気になる奴は心も悪いし悪霊がついていると。ところが、大学がサレルノに誕生します。ルネッサンス16世紀になりますと、ここに芸術が始まります。
ダビンチの絵です。見事です、解剖図よりきれいに描かれています。この芸術が科学と結びついて行く訳です。
■整骨術の源流
日本(の医学)は、西洋医学をベースに採用していた時代でした。中国医学の始まりは2600年前の黄帝。この人が、「黄帝内経」という全ての医療の技術をまとめた教科書を作り上げました。
西洋の医療と違い、東洋の医術には相手を呪うとか、邪心とか、バチが当たってこんななるのだと云う発想は無いです。東洋の医術というのは、全て人を生かすための医術であったという事です。
整骨術の源流というものがあります。3世紀に中国の整骨医書「肘後救卒法」ができました。これが8世紀に日本に入って来ます。その当時は、「按摩官制」という法律ができる訳です。これは骨、関節損傷の整復・包帯・按摩をやっているところ。それから、接骨術の名称というのは、「医心法」に出てきます。平安朝の頃、円融天皇の御代、接骨博士が数名あり、各自特有の手法を持って整骨し、大いに貢献云々とあります。これが、日本で最初の記載です。私達はじめ、整形外科の関係者はじめ、柔道整復師の皆さんは、ここから始まっている訳です。
これは「金瘡医」といわれるグループです。その後、接骨術完成には、蘭医学が入ってきます。オランダから長崎に入ってくる。これが17世紀ですから、16世紀に大学が世界で初めて出来て、それから早くも1世紀の間に、その医術は日本に入って来た訳です。
「骨継療治重宝記」最初の整骨書です。問題は、この方が私たちの整形外科医のルーツなのか、あるいは柔道整復師、接骨師のルーツなのか。(両者は、)お互いに自分らの先輩だと言っているのです。
これがパレーの描いた整復法です。しかし、これもよく見たらさっきのアラビアの絵に書いてあるのとまったく一緒です。絵画によって、あるいは石碑に描かれた彫刻によって伝承されてきた訳です。
これは装具作っています。これはパレーが創った物です。私はいつも言うのですが、驚愕の目で見ていますが、3関節固定じゃないのです。いわゆる2関節の固定、整復方法です。これは現在柔整師の先生方も副子と言う形で使っています。こういう方法は中国では中世医結合といってこの方法で治療しています。この方法の一番いい所は綺麗に動かしながら治していく。関節に制限を与えないままにして治してくというすごい利点があるのです。
唯一の欠点というのが毎日診ないといけない。朝晩と患部をチェックしないとダメという事です。よく考えたら医療者は朝晩患者診て当たり前です。保険(制度)にどっぷりと浸かりすぎると1日1回、週に1回診たらそれでいいのだという考え方になる訳です。これは今後も機能的な固定法として採用され続けて行くべき方法だと思います。
一方ドイツの連中はこういう機械でグーっと引っ張って整復する。日本の柔道整復師のように技術やコツで治すという事じゃなしに、物理的に引っ張り上げてやるという事。そういう整復法が流行っていました。
これは中国で行われている薬浴。漢方のいい臭いがします。これも源流はパレーのこうゆう薬浴の物です。
武術の怪我治療経験から会得した整骨術、少林寺拳法なのです。この陳という人がこれを日本に持ち込んできます。整形科で有名な名倉先生なのですが、その人の祖先が1人、吉原元棟が全部「正骨範」を創った人です。これが実は柔道整復師の武道整骨術、源流だと思います。元々の本当の源流は平安朝から来ているのですけども、実は具体的に言うとここから始まったじゃないかと私は思います。色々説はありますけど皆さんのルーツは実はここにあるじゃないかと思います。

これは二宮彦可先生の「正骨範」有名な本で絵です。私は尊敬できるのはこれを印刷して皆に公表した訳です。昔は秘伝で自分の弟子にしか教えなかった。この先生はこれを出版して皆さんに読ませて、こうやって整復させるのだよと教えた訳です。医療の技術を公開した先人です。
これは華岡青洲先生の本の中に書かれている整骨の目です。ジ〜と見て治す。これは本当の医療者の目であり心であります。一生懸命整復できているかどうかを見る。
これは中国の按摩のマッサージの仕方なのです。ちゃんと椅子でやっています。私は日本でこんなの見た事ないです。中国はこういう風にバランスを考えてやっている。何も中国がいいとは言いませんが源流がここにあるという事で、だから現在先生方がやっておられる治療はこの椅子の精神を忘れてないかという事です。自分の思いにもってきて勝手にやっているという節もあります。
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